大竹伸朗作品制作プロセス(第3部 - 豊島での船型運搬)
宇和島の造船所を出た船型は、愛媛県の三崎港、今治港、香川県の高松港に寄港し、計4日間の航海を経て、12月8日(火)に豊島・家浦港へと陸揚げされました。
11日(金)、島内陸送の日。船型は、島の方々の先導をうけ、見守られ、花嫁行列さながら、いよいよ旧針工場建屋のある家浦岡集落へと入隻していきます。
夜明けまで降り続いた雨は止んだものの、港に強く風が吹きつける朝9時。運搬を前に、家浦港で行われた神事では、小豆島・土庄八幡神社の森宮司によって祝詞が奏上されました。
この作品は、新しき世の芸術とならしめたまひて、多くの人々が国の内外より訪れ、大竹伸朗作品のおもいは今までに無き喜び、安らぎを与え、一人一人が楽しく生きることを願いて行かむと、夜の守り、日の守り、恵み幸いたまへ――。
祝詞を受け、豊島連合自治会の三宅会長は、来年の芸術祭に向けて協力して豊島を盛り上げていってほしいと挨拶。家浦の角石博さんによる伊勢音頭が港に響き、士気高まる中、運搬の準備が進みます。
寒い中集まってくださった島の方々はじめ、スタッフ含めて総勢約70名。豊島の小中学校、保育所の子供たちも加わります。神事を終え、船型に括られた大綱を手に取り、家浦港から800mほど離れた家浦岡を目指して、練り歩きが始まりました。
行列の先頭には森宮司。船型は、島の方々に導かれて、豊島の細い道を幅いっぱいの人々に取り囲まれながら進んでいきます。
途中、休憩場所では、呉汁と豊島のみかんが振る舞われました。呉汁は、大豆をすり潰したものを味噌汁に溶かした汁物で、大豆が収穫される秋から冬にかけて昔から日本各地で親しまれた郷土食です。船型が設置される家浦岡集落の方々が、前日から仕込んでくださいました。
休憩を終え、最後の坂をのぼります。
船型を運びながら、何人か「お祭りみたいやなぁ」と仰る島の方々がいらっしゃいました。
一つの物をみんなで大事に運ぶ中で、参加する一人ひとりが感じた何かが地域の記憶として残っていくということがあるとしたら、それは作品にとっても幸せなことかもしれません。
大勢の島の方々に率いられた船型は坂を上り切り、旧針工場建屋に到着。島の方々に見守られる中、船型がゆっくりと建屋の中に入っていきます。
一度も使われないままであった船型だからこそ、分割することも、傷つけることもなく、そのままの状態で運びたい。その思いの中で、無事にこの建屋に入れることができたのは、ひとつの大きな節目です。さらに、それが豊島の方々に迎えられ、先導していただき、見守られてのこととなれば、なおさらのこと。これは、アーティスト・大竹伸朗にとっても同じでしょう。多くの方の協力を得て、船型は無事、旧針工場の建屋に入隻しました。
しかし、同時に今日は通過点でもあります。ここから、船型と旧針工場という2つの存在を、改めて一体となった作品空間として昇華させていくために、もう一仕事残されています。
瀬戸内国際芸術祭2016が開幕する2016年3月20日に向け、さらに大竹伸朗の制作は続きます。
撮影協力:宮脇慎太郎
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