物理的な計測を超えたジェームズ・タレルの感覚的な尺度――《バックサイド・オブ・ザ・ムーン》
1980年代から活動するベネッセアートサイト直島の記録をブログで紹介する「アーカイブより」。今回は家プロジェクト「南寺」に恒久設置された作品、ジェームズ・タレルによる《バックサイド・オブ・ザ・ムーン》(1999年)の制作プロセスについて紹介します。
家プロジェクト「南寺」は1999年4月、直島の本村地区で公開されました。建物はジェームズ・タレルの作品のサイズにあわせて、安藤忠雄が周囲の環境や場所の特性を強く意識して設計しています。焼杉板の外壁と古い土壁に沿って長く伸びるアプローチを進むと入口があります。入口から暗い回廊を手探りで進んでいくと漆黒の闇が広がっており、鑑賞者は暗闇のなかで待つうちに、ある瞬間、ぼんやりとした光が浮かび上がってくることを体験します。
《バックサイド・オブ・ザ・ムーン》は、タレルがいかに光に実体をもたせるかをテーマにして制作した作品の一つです。タレルの意図が細部まで厳密に反映された空間で成り立っていますが、公開に向けた制作は容易ではありませんでした。着工から公開までの施工期間はおよそ2ヶ月でしたが、公開前に来日したタレルは建築には満足するものの、内部空間については何度もやり直しを指示しました。
施工現場を指揮していた鹿島建設の豊田郁美氏(現・ARTISAN合同会社代表)は、当時を振り返って次のように語っています。
「当初は、作品は図面通り作ればできるだろうと思っていました。ただ、タレルさんとの仕事は初めてだし、何が作品のポイントになるのか、例えば寸法なのか、形状なのか...、が分かりませんでした」
来日したタレルは、内部空間に入った瞬間、空間の寸法には一切目を向けず、照度を調整したといいます。
「どんどん暗くしろ、どんどん暗くしろと言われました。調整しているときのタレルさんの反応は良くはありませんでした。何かがイメージと違ったんでしょうね。これ以上照度を下げられないところまで下げて真っ暗になったのですが、彼はさらに下げようとしました。私たちが用意した調光器は一般的なものでしたから、限界まで暗くしたときに光が消えてしまい、調光器を替えた記憶もあります。明るさの変化は私には分かりませんでしたが、タレルさんは微妙な差を分かっていたのだと思います」(豊田氏)
タレルの指示は照明の位置や、空間内の壁面の縁の処理などにも及びました。施工チームはタレルが目指す完成形が見えないまま、限界を感じながらやり直しを重ねました。
「今思えば、寸法や形がどうという話ではないんですよね。タレルさんは物ではなく、光がどのように見えてくるかという流れを捉えていたのではないでしょうか。我々が物理的に物を計測する尺度と、アーティストが思う感覚的な尺度は違うのだと思いました」
「光の強さや光が空間をどう満たすかなど空間全体を厳密に見て1ミリたりとも妥協しないから、観客が空間に入った瞬間、すごいという感覚になるのではないでしょうか」(豊田氏)
ベネッセアートサイト直島にとってタレルと向き合った経験は、アーティストの厳密さを目の当たりにすると同時に、空間全体を作品と捉えるという、その後の作品制作の方針につながっていきます。
協力:豊田郁美氏(ARTISAN合同会社代表)
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