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Benesse Art Site Naoshima
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子どもたちが住み続けたい、働きたいと思える島へ

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今では「豊島出身で良かったな」ってすごく思います

心臓音のアーカイブ」の近くにお住いの秋井恵里奈さんは、豊島生まれ、豊島育ち。豊島美術館や心臓音のアーカイブの開館を機に、2010年に家族とともに豊島に帰ってこられました。最初はアートや美術館に興味がなかったという秋井さん。その後、心臓音のアーカイブや豊島美術館で働くうちに興味がわき、徐々に豊島への愛情と豊島出身であることへの誇りが生まれてきたそうです。

「それまでは岡山に住んでいたのですが、子育てもあって豊島に帰ってきました。理由も、『美術館ができたから』というよりは『働く場所ができたから』というだけ。今の豊島の子どもたちは美術館に行ったり、直島へ行ったり、アートに触れ合う機会がとても多いなと思うのですが、私たちの時は全然ありませんでした。美術の授業も普通の内容で、まったく興味がなかったですね。なので、私も福武財団で働きはじめてからアートや美術館に興味を持つようになりました」

秋井さんが子どものころの豊島は、まだ産業廃棄物の不法投棄の問題が色濃く残っている時代でした。秋井さんは当時、生まれ育った島のことをどこかネガティブに感じていたと語ります。また、今、秋井さんの世代で豊島に残っている人はほとんどいないそうです。

「産業廃棄物が一番問題になっていたのが私よりちょっと上の世代で、子どもの喘息とかもすごかったらしいです。子どものころは正直、豊島のことが嫌いでした。遠足に行って『どこから来たの?』と聞かれて『豊島です』と答えたら、『ああ、産廃の島ね』と言われて......。だから私は『早く島を出てやろう』という思いで育ってきたんですが、今は逆に『豊島に残りたい、豊島で働きたい』という子が多いと聞いて、かなり驚きました。私のころと全然違いますね。美術館ができて10年経って、私も美術館で働いてきて自慢できる場所もあるし、今は逆に私も『豊島出身で良かったな』ってすごく思います。うちの子も、ずっと七夕の短冊に『美術館で働く』って書き続けてくれているんです。子どもたちが大人になったときに働けるところがどんどん増えたらいいなとも思っています」

小中学校では豊島の歴史や今を総合的に学ぶ「てしま学習」という授業を設けており、産廃などの悲しい過去についてだけでなく、豊島の自然や食、アートなど豊島の良さを知ろうといった内容も学んでいるそうです。過去をきちんと学び、そして今を見つめることで、島への愛着につながっているのかもしれません。そして何より、豊島で働く母の姿を間近で見ているからこそ、子どもたちはより一層そう思うのかもしれません。

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ボルタンスキーの想像を超えて蓄積される記憶と記録

「心臓音のアーカイブ」では、世界中の人々の心臓音を聴くことができるだけではなく、自分の心臓音もレコーディングルームで録音し、生きた証として作品に参加することができます。秋井さんは、お子さんの成長に合わせてお子さんの心臓音を節目ごとに登録されているそうです。

「私たちの年代では『生きた証を残すってまだほど遠いかな』と思ったので、最初はおばあちゃんを連れてきて登録したんですよ。本人が生きた証というよりは、遺されたこっち側が思い起こせる、もし亡くなってもここにあると思えるので。逆に子どもが初めて登録したのが2~3歳。私も(心臓音のアーカイブで)働いていて『年齢によって心臓音の速さが全然違う』ということを知っていたので、成長の節目で登録して自分で聞けたらいいなと思ったんです。そして小学校、中学校に入ったときも録りました。本人たちも後に自分の心臓音をリスニングルームで聞いて『スピードが全然違う。幼い時、めちゃめちゃ速い!』って驚いていました」

豊島に来ていたボルタンスキーとお子さんたちは一緒に写真を撮ってもらったことがあるそうです。2021年にボルタンスキーが亡くなった時、お子さんたちは自分で調べてみて初めて、こんなすごい人と一緒に写真撮っていたんだと気が付いたといいます。

「その美術作品を見て、作品は頭に残っても、本人に会わないと、直接こういう人が作っているというのには、恐らく繋がらないと思うんですよ。それが繋がったことで、子どもたちも改めて身近に作品があることに誇りを持ってくれているのかもしれません」

また、心臓音だけでなく、秋井さんからお子さんへのメッセージも記録しています。小学校の時にメッセージを書き、そして中学校のタイミングでまた登録した時に、登録を終えて見返すと、まったく同じことを書いていたそうです。次は高校進学、そして20歳で登録し、もう少し大人になったら今度はお子さんが秋井さんにメッセージを書いてくれたら嬉しいといいます。

「『作品だから残したい』だったら、自分の心臓音を作品として残してもらえたらいいと思うのですが、『誰かの心臓音を残したい』と思えた時は、もう作品を超えているなと思います。だから、今後もここが残っていってほしいし、子どもも自分から登録しようと言ってくれたらいちばん嬉しいですね。ボルタンスキーはみんなの心臓音をアーカイブしていますが、私は、家族の成長をアーカイブしている。こんな利用ができるのも、私が豊島に住んで働いているから、身近にあるからです。きっとボルタンスキーも想定していなかっただろうし、ボルタンスキーと一緒に聞けたら良かったな、と思います」

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