暮らす人、そして訪れる人を魅了する島とアート
豊島で生きてきた思い出とともに作品を愛でる
心臓音のアーカイブでは、2010年7月に一般公開に先駆け、豊島島民向けの内覧会を開催しました。その際島民として最初に心臓音を登録したのが、豊島で生まれ育った田中昌子さんです。
「心臓音のアーカイブができた時に親戚の人と4~5人で来たんよ。それで親戚のみんなが私に『一番に録れ』って言うて。でも録音の仕方に慣れてないから、他の人の声がワーワー入っとる(笑)。すごく賑やかな心臓音です。私が亡くなったとき、告別式にはその時の音を子供に流してもらおうと思ってる(笑)」
田中さんはそれ以降も、心臓音のアーカイブに何度も足を運び、自分の心臓音を録ったり、ほかの人の心臓音を聴いたりすると言います。
「10年経って、歳をとった音を比べたいなと思って、去年近所の友達と録音に来た。ここに私の心臓音のアーカイブができていってる。近所の人は『病院の先生なら心臓音を聴くけど、自分のは聞くことがないなぁ』って言うんよ。自分のも人のもこんなに聴けるのはここだけでしょう?だから、『わぁ、この人すごい元気な音』とか『この人、電気のつきがぶわっと明るい。若い人かなぁ?』とか、どんな人の音なのか想像しながら聞いてる(笑)」
ボルタンスキーは豊島に心臓音のアーカイブだけでなく、豊島の檀山にささやきの森というインスタレーションも制作しています。ささやきの森へ向かう道の先には、昔、田中さんのお母さんがみかんを作っていた場所があり、田中さんにとって思い出深い場所でもあるそうです。
「私が初めてささやきの森に行ったときは、たまたま、みんな亡くなった人の名前が書いてありました。最初は静かだったのが、風がそよそよっと吹いたら、何とも言えないきれいな優しい音がして、忘れられないぐらい感動しました。ここには、そよそよっと風が吹いとるときに来るのがいいなあと思いながら、友達と二人で座ってゆっくり聞いていました」
ボルタンスキーの訃報を、新聞で知り驚いたそうです。島民内覧会で会ったボルタンスキーのことを今でも鮮明に覚えていると言います。
「亡くなったと知ったとき、知り合いの人とも『残念やなぁ、まだまだいろんないい作品ができる方だったのに』と話しました。初めてお会いしたとき、小柄で目がくりっとして、人柄のよさそうな優しそうな人やったなって思いました。原色で派手だけど素敵な洋服を着ていて、それがよく似合っていたのを覚えています。彼もフランスから、なんでこんなに遠い豊島を選んだんやろう。でも、こんなようけ島があるなかから豊島を選んでいただいて、ありがたいです。これもご縁よね。彼の作品が海辺と山とで二つあるというのも、この島にちょうどいいなと思います。豊島にこれからも作品がずっと残り続けて、私もずっと足を運べたらいいなと思いますね」
島民ならではの人懐っこさで広がる交流の輪
「豊島は食もいいし、景色も最高だし、自然の美しさも見てほしい」と語る田中さんが感じている豊島のいちばんの魅力は、島民特有の素直さ、人懐っこさ。豊島には日々島外から人がやってきますが、田中さんをはじめ、島の人たちは訪れた人と交流をすることが多いそうです。世代も国もちがう友達が自然に増えていく、島に訪れる人との交流が何よりも楽しいと言います。
「昔はみんなほとんど顔見知りだったけど、今は島外や世界中からいろんな人が来られる。みんな礼儀正しくて挨拶もきちっとしてくださる、感じのいい方ばかりよ。みんな田舎の人やからすぐ話しかけて、日本語が喋れる海外の方で、自分も行ったことのあるとこやったら『ああそこ行ったことあるわ!』とかお話しして、そこから交流が生まれます。私も旅行が好きで日本中いろんなとこ行っとるから、どこから来たか聞いたときに『ああこの辺ね』って自然と話が弾むんよ」
ふとしたきっかけで交流から長い付き合いになることも。例えば、「思い出にどうしても心臓音を残しておきたい」と言う、病気を患っている方を車に乗せて録音しにいったことで付き合いが続き、田中さんが東京まで会いに行ったことがあるそうです。また、車に乗せてあげたことでお礼にお手紙がくることもよくあったり、「海に癒される。豊島が大好き」と仕事で近くに来たついでに何度も豊島に訪れてくれる方もいたようです。
「私との友達がいつの間にかお父さんとの友達になって、私がいない時もお父さんと二人で島を回ってることもある(笑)長いことおるときは掃除もしてくれて、もう家族みたい。今まで、老後はお父さんと二人で静かに過ごそうかと思っとったけど(笑)瀬戸内国際芸術祭が無かったら、ただ家族と親戚だけの付き合いで、こんなにいろんな人に知り合うなんて絶対にない。いろんな人との会話が楽しいし、本当に思いがけない交流が広がって、老後の楽しみができて、気持ちも若返るわ(笑)」
ここ数年は新型コロナウィルスの影響もあり、なかなか今までのようには交流が出来ていないそうですが、これまでに育んできたいろんな人との交流や関係性は続いているようです。
「お話ししたくても、今もし私がコロナになったら迷惑かけるなぁと思って、その心配がある。交流ができんのは寂しい。でも豊島は食も豊かやから、今は畑をして、おいしいものを食べてます。心臓音のアーカイブが出来てから11年、本当にいっぱい楽しい思い出ができた。まだもうちょっと楽しいこといっぱいこしらえにゃいけんなぁと思ってます(笑)」
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